誰にもその辛さを伝えることなく、
辛くても笑っているしかない自分に、
無視されてどんどん透明になっていく自分に、
今の自分は生きているけど死んでいる、
そんな深淵に囚われてしまったのだろうか。
この生にどんな意味があるというのか、
自分は生きていなくてもいいのではないか、
そんなまっすぐな問いを誰にもぶつけることなく、
自分のいのちを天に返してしまったのか。
いのちを大切に、なんて大きな声でオトナタチは言うけれど、
クラスの中で笑いながら泣いている小さな心の死、を、
人の手では直すことのできない、
たった一つのものを損なった大勢の心の死、を、
渦を、流れを変え得なかったオトナタチが、
あなたをその深淵から呼び止めることができなかったのだと思う。
そこになかったのは、オトナタチの、
一人ひとりの「自分はどう生きるか」
「こどもになにを伝えたいか」
「どのように行動するか」
それらの規範になる哲学だったような気がしてならない。
ワタクシの中の子ども時代のワタクシが、
今宵はオトナのワタクシを責めているようである。
「いまのあなたには何かできることがあるでしょう」と。
いじめられることは、恥ではない。
弱きことは、醜くはない。
いじめの輪に加わることが、恥なのだよ。
弱きを苛んだ偽りの強さこそが、醜いのだ。
あのときの自分と対峙して、
何を思ったか、どうすればよかったのか、
それを今を生きている小さな人たちに伝える努力を、
いじめられ体験をもつオトナは無力だった自分への償いとして、
いじめた過去をもつオトナは傷つけた誰かへの償いとして、
始めるときがきているのではないか。
いつの時代にもいじめはあった、
なんて敗北主義的な言い訳、
そんなのは何の役にも立たないよ。
いじめられる側にも原因がある、
そんな欺瞞に満ちた言い訳、
そんなのは誰の役にも立ちはしない。
そんな言い訳をして傍観しているうちは、
多分いじめはなくならない。
ワタクシはそんな醜い言い訳はしたくない。
幼かった頃の自分のためにも、
いのちを天に返してしまった少女のためにも、
少女と同い年のぷいこのためにも。
みな、強い心を持っているわけじゃないよね~・・。人の心には、虐待したいという心が奥底にあるんだよ・・。
私も体型で虐められたけど、その時代は
虐められても黙って笑っていれば、相手にされなくなったけど・・今じゃちがうんだろうなぁ・・。
テキスト通りにしか見ない大人がおおいのかもね・・。
そういう、私もえらそうな事は言えないよ・・。
私のダイスキなピンクいろ・・。
優しくて繊細な花だけど・・
風で倒れても、立ちあがる強い花
でもあるんだよね~^^
オトナになってまでいじめに加担する人は、
きっとそれまでの人生でいじめを克服できなかったんだろうね。
どんな組織の中にもそういう芽はあるけど、
でもそれには加わらない、そんな誓いを立てたいよね。
ひとりでコスモスロードにした男性がいるのだけど、
はじめの3年くらいは、畑で育てた苗を移植していたのだけれど、
その後は毎年こぼれ種から咲くようになったって。
コンクリートの割れ目のわずかな土に根ざして。
優しくあれ、たくましくあれ、
そんな感じがする花だよね。
…そういえば、ゆりりんのような雰囲気がする花だよな
受け止める側が虐めと感じるなら虐めだし、遊びと感じるなら遊びかも知れない。
でも、死を考えている子供には何らかなのサインが有ったと思う。回りの大人は気が付かなかったのか?
学校で面白く無い事が有れば、夕食の時の様子で判る様な気がします。
なんだかお子さんの心情を考えるとね、
言わなかったのはわかる気がします。
「自分がおぼつかない努力をし続けているのを一番見せたくないのは家族」
そう書いた作家がいました。
ワタクシも言わなかった覚えがありますよ。
だからこそ、いつでもバカ話でいいから会話がある食卓が必要なんですよね。
あー、でもワタクシ的には、
人を傷つける可能性のある「キモイ」が飛び交う教室は魂的に不健康です。
アソビであろうと、
もっとマシな言い方がないものだろうか。
そういうコトバをヤだなって思う感性を育ててあげたいと思ったりするのですが。
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