玉砕による組織的な戦闘が終結した硫黄島、
数百に及ぶ地下壕の中で
40℃にもなる地熱の中で、
持久戦に持ち込むことで本土への防波堤となった硫黄島。
多くは急遽召集された3,40代の年配者と16,7の少年たち。
戦闘のいわば素人であった兵士たちに与えられた硫黄島守備隊戦闘心得。
負傷しても戦い虜となるな
苦戦に砕けて死を急ぐな
華々しい討死も許されず、
降伏も許されない、逃げ場のない戦場だった。
証言者2.元海軍兵士79歳。
サイパン、テニアン、グアムの場合は、
自分の陣地がやられたら、
後方へ戻って共同作戦をとれとなっているんですけど、
硫黄島の場合は自分の陣地を死守しろというんですね。
共同といって後ろに下がったら、
ご存知の通り硫黄島ということろは小さいですから、
海に落っこっちゃいますからね。
ですから自分の陣地から絶対動いちゃいけない、と。
そういう命令は下っているんですね。
で必ず栗林中将は一人十殺って、
一人で十人殺せば必ず勝てるっていう…
爆弾700トン砲弾5000トン。
21年2月16日三昼夜にわたる上陸作戦。
証言者1.元硫黄島守備隊83歳
百雷が落ちるなんてもんじゃないですよ。
すごい、あれはもう耳が、頭がどうかしちゃうんですよ、本当に。
証言者2.79歳元海軍兵士
爆撃が来るわけですね、
ん~ん~ん~って近づいてくるとね、
恐怖症みたいな人がいるんですよ、
体が震えてくるんですね、くぅ~って。
我々が抑えてやってもダメなんですね、なおらない。
太陽をみていないですからね。
もう夜戦争して後壕の中に入っている、
敵の銃声に壕の中に入りっぱなし、
その前から一日つけっぱなしですからね。
元海兵隊軍曹84歳
夜になれば日本軍は必ずバンザイ突撃をしてくるはずでした。
むしろ我々はそれを期待し待ち構えていたのでした。
そうすれば彼らは自滅でした。
しかし残念ながらそうはなりませんでした。
彼らは戦いを長引かせようとしていました。
元海兵隊兵士81歳
彼は帰りませんでした(名簿の写真を指しながら)
彼も、彼もです。
朝になるとあたりは海兵隊員の死体だらけでした。
これは生きて還れないと思いました。
あちらの穴から撃ってきたと思ったらこちらの穴、
一体敵がどこにいるのかわかりませんでした。
手榴弾でやっつけたと思っても、
すぐに別の穴から撃ってくるのです。
とてつもない苦しい戦いでした。
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